知恵袋![]()
ここでは、食に関するさまざまな雑学をお届けします。
今回は、食からちょっと離れてバレンタイン・デーについて。
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バレンタインの由来
バレンタイン司祭
バレンタインの由来は、紀元3世紀の昔までさかのぼります。
当時のローマ帝国の皇帝クラディウス二世は、強兵策として兵士の結婚を禁止していました。結婚して家族が出来るとどうしても家族を思い戦闘意識が低下してしまうからです。
しかし、それではあまりにも非人道的だということで、ひそかに兵士たちの結婚に手を貸していた司祭がおりました。
それがバレンティヌス司祭です。
しかし、このことが皇帝の怒りをかい、バレンティヌスは逮捕され処刑されることになり、このときアステリオという判事に取り調べを受けました。アステリオには目の見えない娘がおり、取調中のバレンティヌスと密かに心を通じ合わせるようになりました。そして、愛の力で彼女の目が奇跡的に直ってしまったのです。それを知ったアステリオはバレンティヌスに感謝し、一家そろってキリスト教に改宗しました。
ところがその件が皇帝に知られ、アステリオの一家を全員処刑してしまいました。そしてバレンティヌスは悪の張本人として数々の拷問を受けたあげく最後は棒でなぐり殺されたのです。
それが、紀元270年2月14日。以来ローマカトリック教会では祭日としています。
はじめのころ、聖バレンタインデーは司祭の死を悼む宗教的行事でした。
では、なぜその日が女性から愛の告白の日になったのでしょうか?
ルペルカーリア
古代ローマではルペルクスという豊穣の神のためにルペルカーリアという祭が行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になると、また同じようにくじ引きをします。
496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を禁じました。代わりに、違った方法のくじ引きを始めたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますものです。そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンティヌスを、新しい行事の守護聖人とし、2月14日をバレンタインデーとしたのです。
次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。
チョコレート
女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣です。欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。
日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのは昭和11年のモロゾフ(神戸)だそうで、その後戦争の時期を経て昭和30年代ころにデパートが単純に恋人に贈り物をする日として宣伝したようですが、その時はそれほど定着はしなかったようです。チョコレート業界では昭和33年にメリーの営業主任であった原邦生氏(後社長)がヨーロッパの知人からバレンタインの話を聞き、新宿伊勢丹デパートでキャンペーンセールをしたものの、最初の年はそのコーナーではチョコレートはわずか5個!170円分しか売れなかったとのことです。その頃からメリーと森永だけが毎年バレンタインの広告を出していましたが、やはり定着するには時間がかかりました。
昭和50年代前後から「女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する日」として広まりました。現在国内の調査によれば約60%の女性がこの日にチョコレート等の贈り物をしているとのことで、チョコレートの消費量もこの時期に年間の2割程度を消費しているようです。
1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から日本のバレンタインデー発祥の地、神戸市に愛の像が送られました。
今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまいました。クリスマスもそうですが、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられて、セールスに利用されがちのようですね。
今年は、目先の愛ばかりではなく、命を犠牲にしてでも愛を広めた聖バレンティヌスを思い出してみてはいかがでしょう。
